今も現役! 山居倉庫、美しさの秘密

山居倉庫はなぜこんなに美しいのだろう?建物に沿ってつづくケヤキ並木、黒い壁、インパクトある屋根の形…。大ヒットしたNHK連続テレビ小説「おしん」の脚本を書いた橋田壽賀子さんは、取材中に偶然目にした山居倉庫から瞬時に「おしん」の構想を思いついたそうです。美しい建物として評価が高く、たくさんの観光客でにぎわう山居倉庫ですが、実は今も米保管のために使われている現役の米貯蔵庫なのです。1893年(明治26年)、鶴岡の棟梁、高橋兼吉のよって建てられたこの建物には、人を惹きつける魅力と美しさがあります。

今回、山居倉庫を案内して下さったのはブラタモリ案内人の小林さん。プロのガイドではないので話しに怪しいところもありますが…と謙遜されながら「目から鱗」的な様々なエピソードを語ってくださいました。今回は多岐にわたった話の中から、その一部を引用させていただきつつ、山居倉庫の美しさの秘密を探ってみたいと思います。

目次

山居倉庫と酒田の歴史

まず、小林さんは酒田の歴史について分かりやすく話してくださいました。なんでも酒田が大きく発展したのは、関ヶ原の戦い後に行なわれた大名の配置換えの際、酒井家が庄内藩に赴任してきてからだったとか。

徳川家康は徳川四天王に数えられるほどの重臣・酒井家を、なぜ江戸から350㎞も離れたこの地に置いたのでしょうか?その答えは「米」。古くから最上川には内陸から米を運ぶルートが確立しており、家康はその米に注目しました。米が経済の基礎だった時代、米の管理は信頼できる重臣に任せる必要があったわけです。

そして1672年、河村瑞賢が新潟・大阪を経由して江戸に至る、遠回りでも安全な西廻り航路を開発し、その起点となった酒田はおおいに栄えたのです。

しかし明治時代に入り日本が近代化を進めると、通貨の基準はお米から金へ移行し、今まで米で払っていた給料を貨幣で支払うようになりました。そして次第に、米の存在価値が貨幣経済の中心から投資対象(先物取引・米相場)へと変わり、米をよい状態で保管しておくための場所が新たに必要となったのです。その場所として山居倉庫が建てられ、今に至っています。

建物に採り入れられた工夫

「ガイドさんがここに来ると必ず紹介する場所です」と倉庫前に移動する小林さん。

吉永小百合さんを起用したJR東日本のポスターの撮影現場です。ケヤキ並木と建物が美しく、今でも酒田市には「ポスターありますか?」という問い合わせがあるそうです。

米を保管するうえで大切なのが温度と湿度の調整。米の品質を保つために、山居倉庫には様々な工夫が施されているそうです。その工夫の一つがケヤキ並木です。

山居倉庫は築130年ですが、一緒に植えられたはずのケヤキは樹齢150年。「その理由が分かますか?」小林さんに問われ、一同ドキリ。ケヤキにも大きな役割があったのです。ケヤキは倉庫を西日による温度上昇から守り、風速10メートル以上を観測する日が年に100日以上あるといわれる酒田の強い風からも守っていたのでした。ケヤキが選ばれたのは大きく横に拡がる樹形と葉の量の豊かさから、ということです。

「ここを見てください」建物に近づいて小林さんの指さすところを見ると、建物と壁の間に50センチほどの隙間がありました。屋根も、屋根の上にまた覆いがある2重屋根構造になっています。建物の中の空気がうまく外に抜けるような構造にして建物内の温度と湿度を保っているのです。

土台にも湿気対策が施されていました。基礎として長さ5mのマツの丸太が1棟につき46本も使われており、その上に塩を3センチ重ねてあるそうです。

また、山居倉庫は中洲に建てられたため、川の増水に備えて5mの高さに盛り土をし、その部分が崩れないように四方を石垣積みにしてあるとのこと。よりよい状態で米が保管できるように、山居倉庫を建てる際にはそれまでに建てられた各地の米蔵の優れたところを調べあげ、その技術を結集したのでしょう、と小林さんは語っていました。

「おしん」の功罪

昭和58年、NHK連続テレビ小説「おしん」のロケ地に使われたことをきっかけに、それまで関係者以外にはあまり知られていなかった山居倉庫を、たくさんの観光客が訪れるようになりました。

海外でも「おしん」の人気は高く、現在でも多くの人々が山居倉庫を訪れています。12棟ある倉庫のうち、9棟は米倉庫として現在も使われ、1棟は庄内米歴史資料館となっています。

資料館は残念ながら冬期休業中で見学することはできませんでしたが、米に関する資料などが展示されているようです。他の2棟は土産店やレストランが並ぶ『酒田夢の倶(く)楽(ら)』として活用され、観光客でにぎわっていました。

「おしん」のおかげで酒田は有名になりましたが、そのために少し困ったことも起きている、と小林さん。観光客が歩きやすいように倉庫とケヤキ並木の間に石畳を作りましたが、それが原因でケヤキの根が浮き上がってきているそうです。

倉庫には棟ごとに『敷地内禁煙』『関係者以外立ち入り禁止』の札が貼られていて、山居倉庫は観光地であるとともに現役の米倉庫なのだ、ということを改めて感じました。作業シーズンに観光で立ち寄ることがあれば作業の邪魔にならないように楽しみたい、と私も思った次第です。

山居倉庫の美しさとは(私見)

今回、山居倉庫をじっくり見て回り、ネットなどでも色々調べ、私なりに美しさの秘密をあれこれ考えてみました。思い込みに満ちた結論になっているようにも思いますが、一応書いておきます。山居倉庫の美しさの秘密…それは『生きている』『機能的』そして『魂が宿っている』の3点です。

・山居倉庫は今も現役で活躍する生きた建物だということ。「生きている物は美しい」

・室内を適温に保つ工夫、湿気を防ぐ工夫があらゆるところに施され、それがこの独特の外観を作り出しているということ。「機能的に優れている物は美しい」

・山居倉庫は設計した棟梁、高橋兼吉が生涯で得た技術のすべてを注ぎ込んで創ったものだということ。「魂が宿っている物は美しい」

高橋兼吉は1845年、鶴岡の大工町に生まれ22歳で上京。洋風建築を学んだといわれています。

その後、鶴岡に戻り明治9年酒井家お抱えの棟梁となり、旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署などこの地方の洋風建築最高傑作を生みだしただけでなく、荘内神社の社殿、善宝寺の五重塔などの寺社建築も手掛けています。彼は自ら設計図が引ける数少ない棟梁の一人でした。

山居倉庫が完成してほどなく亡くなっていることから、山居倉庫は彼の建築の集大成だったと考えられます。西洋技術と、伝統的な土壁構造・置き屋根構造の融合。外壁は杉板を黒く焼いて長持ちするようにし、接合部には木製のくさびを使い、釘は使用しなかったといいます。高度な技術と心をこめた仕事。山居倉庫の美しさの秘密、それは自らの力を出し惜しみしない、作り手の心の美しさなのかもしれません。

(※本稿は2020年1月下旬に実施された取材をもとに作成されました。)


  • URLをコピーしました!
目次