除雪ボランティア活動を通して甦る日向(にっこう)地区

深田久弥が『日本百名山』のなかで「眼路限りなく広がった庄内平野の北の果てに毅然とそびえ立ったこの山を眺めると、昔から東北第一の名峰とあがめられてきたことも納得できる」と表現した、鳥海山の南麓に発する幾筋もの川を集め日本海に注ぐ日向川の両岸に広がるのが酒田市日向地区だ。

水資源に恵まれているので、日向川を遡っていくと、黒瀬発電所や草津発電所の堰堤や送水管が目にとまる。

目次

危機からの再出発

他の中山間地同様に、この日向地区も人口減少が続く。2019年10月末の人口は900人を切り、高齢化率は47.1%に達した。

2009年3月には酒田市立日向小学校が閉校となることが発表されると、小学校が消えると地域が廃れると多くの住民は心配した。やがて、この日向小学校に生涯学習や社会教育の拠点が50畳一間の日向公民館から引っ越し、閉校から8か月後、旧日向小学校は日向地区の地域づくりの拠点・日向コミュニティセンターとして再出発をすることになった。

酒田市では概ね小学校区ごとにコミュニティセンターを設置している。その学区の地域活動を束ねる地域団体であるコミュニティ振興会に、その施設の管理を委託し、地域活動の拠点としている。日向地区にも市町村合併を機に、地区公民館が閉館、日向コミュニティ振興会が設立されていた。

「日向小学校大運動会」を継続するために

親睦大運動会での「なわない競争」

運動会の運営が小学校から地域へ

コミュニティ化と小学校の閉校が同じ2011年であった。それまで小学校で運営していた「運動会」を地域で運営しなければならなくなり、コミュニティ振興会の設立準備委員会では、その運営方法を検討するための運動会検討委員会を立ち上げ、残したい競技や止めたい競技など活発に意見が交わされた。委員会も5回を数えた頃、名称も「日向地区親睦大運動会」と決まり、勝ち負けにこだわるより親睦をメインにしようと意見がまとまった。

また、設立準備委員会で検討されたのは、運動会は春なので秋にメインとなるイベントをやった方がいいのではないか、ということになり、『学習発表会と縄跳び』があがった。かつての日向小学校は集団縄跳びが盛んで、日向小学校といえば「集団縄跳び」、「集団縄跳び」といえば日向小学校といわれ、他に文集づくりや合唱にも力をいれていた。

今後、伝承が難しくなるであろう伝承芸能・「杵つき餅」を残したいという声もあがり、収穫を祝う意味も込め「日向地区秋祭り」として、これまでの伝統を引き継ぐことになった。

地区の人たちはどんな運動会にするのか、どんな秋祭りにするのかを話し合い、成功させるためには世代を越えて顔見知りになることが必要だという思いから、高齢者と子ども、子どもと大人のかかわるイベントを行なった。その甲斐あって、第一回の親睦大運動会は300名以上の参加で大いに盛り上がり、秋祭りはコミュニティセンターの体育館(旧日向小学校の体育館)で盛大に開催された。

こうした地域づくりの中心にいたのが日向コミュニティ振興会の事務局長・工藤さん。彼女は、誰でも参加できるんだと思わせようと心がけてきたと仰いました。コミュニティセンターといっても、行なっている事業は、これまでの公民館での内容が中心だった。公民館が生涯学習の場であるから当然で、趣味の講座をやったり、料理教室をやったりして人があつまるコミュニティセンターを目指してきたが、事業をこなすことが「地域づくり」なんだろうか、と疑問をもつようになったと振り返っています。

どこに向かっていけばいいんだろうか。日向地区の望まれる形ってなんだろうか?

日向コミュニティ振興会の工藤事務局長(左)と小松会長(右)

─事業をこなしていくだけが「地域づくり」なんだろうかと疑問をもつようになったんですか?

工藤さん:そうなんです。

人が集まる楽しいコミュニティセンターになるように活動をしてきたのですが、こうした生涯学習の事業をこなすことが地域づくりなんだろうかという壁にぶち当たったんです。そして、地域づくりって何だろうなと思い悩むようになりました。

そんな2011年の秋、「市民大学出前講座」というチラシが舞い込んできました。藁にもすがる思いで、申し込みをして東北公益文科大学の先生に出会います。このときの出前講座のタイトルが『地域で暮らす幸福感』でした。先生から、「日向地区はワークショップができますか?」と問われ、「みんなの前での発表は得意ではないかもしれませんが出来ると思います」と答えると「では、学生を連れていきます」と、発表者を学生が引き受けてくれることになり、初のワークショップを体験することになりました。当日は、自分の意見を聞いてもらえるということで大いに盛り上がりました。

―日向地域の雰囲気が変わりはじめたんですね。

工藤さん:同じ年、酒田市福祉課と連携し、通院や買い物などの日常生活の維持が困難となる高齢者世帯等に対する支援のあり方を検討する「地域あんしん生活支援研究事業」が実施されていて、各団体の代表者からなる「研究会」が立ち上がり地域課題の共有化と今後の方向性を確認し、モデル地区として日向が選定されました。

奇遇にも市民大学の出前講座でお世話になった先生も大学の代表者としてメンバーに入っていました。翌年、地域ではどんなコトに取り組めるかについて話し合う「地域支え合い研修会」を開催し、地域の強みや課題を出し合う二回目のワークショップを体験しました。

それまでは、発言力がある方の意見に流れていくという雰囲気でしたが、このワークショップを境に、会議に出席しても発言できなかったこんな私の小さな意見でも聞いてくれるんだ、という雰囲気になってきました。こうして地域が、トップダウンからボトムアップに変化していきました。

今も年一回、ワークショップを開催し、出たアイデアや課題を次の年に実践できるようにみんなで考えています。

除雪ボランティアをとおして増える日向ファン

このワークショップでは、「日向地域の強みや課題」や、地域の暮らしに困難を感じている人の現状を皆で共有し、「地域ではどんなことに取り組めるか」について話し合い、高齢化率が高いこの地域には『福祉「で」地域づくり』が、日向地域の目指す目標に合っているのではないかということになった。

―日向地区には、どんな課題があることになったんですか?

工藤さん:地域の課題は「地域活動を担う人の減少」や、「高齢者の見守り、外出支援」といった「日常生活支援」、「居場所づくり」、「生きがいづくり」、「支え合い除雪」、「災害時の対応」などがありました。そのなかで、できることから始めようということで「居場所づくり」「地域支え合い除雪」「防災マップづくり」の実践が始まることになりました。

「地域支え合い除雪」は、毎年1月第四土曜と、2月第二土曜の年二回行なっていますが、今年は初めて中止になりました。こんなに雪が無い冬は初めてですね。

―除雪ボランティアを受け入れたことで変化はありますか?

工藤さん:除雪ボランティアには東京からの参加者や、親子で福島から毎年来てくれる方もいます。除雪ボランティアで来てくれた方が、雪に関係なく、春にスキーに来たときに寄ってくれたり、地域おこし協力隊のお別れ会をやりますってSNSに載せたら、福島から参加してくれた方もいました。遠路、大変でしたねっていうと、「行けるところがあるということはうれしいことなんです」っておっしゃっていました。

除雪ボランティアに参加する方のなかで、日向地区のファンが増えています。酒田市内にも東京にもいます。学生のなかには除雪ボランティアが縁で、社会人になっても訪ねてくれたり、受け入れた学生が日向地区のPR動画を作ってくれたり、人のつながりが確実に広がっていることを感じています。

―いろいろとご苦労があったでしょうね。

工藤さん:これまでの公民館活動は、長い間行政主導で行なってきましたが、地域づくりは地域主体であって、ワークショップで出された意見やアイデアは皆の意見。みんなで決めたことですが、どうしても事務局が進めて先導しているイメージが払拭できず、市の職員でもない自分がこのように進めていいんだろうかと思い悩みました。他にもっと適任者がいるんじゃないだろうかって何度も思いました。でも、ここで私がやらないで、じゃあ誰がやるんだろうかと思い悩んでた末に、腹を据えてやっていこうと決めました。当時は孤独でしたが、今は『みんなで一緒に』『地道にコツコツ』が合い言葉のようになっています。

そして、「事業をこなすことが地域づくりなんだろうか?」と悩んだ私が、10年経った辿り着いた答えは、事業をこなすことは生涯学習であり、社会教育になるのではないかということです。やはり『事業(イベント)は、「人づくり」』になるのではないかということに立ち返っています。

取材を終えて

今年の日向地区は暖冬で雪が無く、ご覧のように道の脇には雪をみることがあっても、除雪するほどの雪はありません。そのため、1月の除雪ボランティアは中止となりました。本来は、ここに除雪ボランティアの活動の様子を報告する予定でした。体育館での除雪道具のレクチャー場面や実際の除雪作業、そしてみんなが楽しみにしている除雪作業後の昼食交流会の画像が満載になる予定でした。でも、そのことは叶いませんでした。

そこで、今回は、衣替えをした日向コミュニティセンター、旧日向小学校という建物を舞台にして、地域の方々の役割と活動の再発見を通して元気な日向地区が甦っていく過程を、コミュニティ振興会事務局長の工藤さんへのインタビューを交えて描きました。

私は調査研究で、いくつもの地方を訪ねます。かつて限界集落と呼ばれたところにも足を踏み入れることもあります。でも、意外なことに存続している限界集落が多くあり、存続を支えているものが「人と人のつながり」と、それをコーディネートする人であることに気づいてきました。今年は雪が無かったけれど、これまでの除雪ボランティアで日向のファンは確実に増えています。そして、そこに生まれた「人と人のつながり」が日向地区を少しずつですが甦らせています。この「人と人とのつながり」が続く限り、日向地区は存在し続けていくはずです。

最後に、日向コミュニティセンター内に、2019年7月にオープンした日向里かふぇ(株式会社良品計画が日向地域の活動に共感して、監修協力、地域の皆さんと手作りのカフェをオープン)に置いてあったノートに記された卒業生の言葉を紹介します。

2019.8.19

昔、昔 日向小学校に通っていました。

この校舎も、なつかしい!

こんなふうに、また日向小学校の中に入れてうれしいな!

なつかしい教室もみたかったな… 9人で学んだ教室がなつかしい

地元の方々、無印の方々、ありがとう!

子どもを連れてこれて よかった  ありがとう!

(※本稿は2020年1月下旬に実施された取材をもとに作成されました。)


取材者プロフィール

ペンネーム:大仏ちゃん
所属単協名:千葉・松戸
プロフィール:現在66歳。市役所を60歳で定年退職してから大学教員へ。

その後、65歳の二度目の定年を機に大学院で健康寿命の延伸にかかわる要因とは何か? という研究を行なっています。

今のところ、そのカギは「経済活動」が最も重要な要因ではないかとにらんでいます。

  • URLをコピーしました!
目次