生活クラブらしさ満載の参加型福祉コミュニティーづくり

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特派員レポート

酒田に旨い“酒”と美しい“田”あり!

 

酒田の名前は「酒」と「田」という二つの字から成る。この字を当てるようになったのは、江戸時代からのこと。古くは砂潟(「砂の干潟」の意)、または坂田(傾斜地の田)と書いたという。最上川が日本海に注ぎこむ河口にできたこの町は、川に向かって緩やかな傾斜を描き、海沿いの一帯は川の流れに運ばれた砂が堆積する日本三大砂丘の一つとなっている。

「日和山 沖に飛島 朝日に白帆 月も浮かるる最上川…」

ここは日本有数の米どころ庄内平野。民謡「酒田甚句」の文句にあるように、「庄内の酒田名物 何よと問えば お米にお酒におばこ節」。西廻り航路が開かれて以来、交易の拠点として栄えた港町酒田には、京の都からさまざまな事物とともに料亭文化がもたらされ、豪商たちは贅を凝らした料亭で商談を交わし、酒宴を催して客人をもてなした。時が流れ、花街の文化は衰退したが、伝統を後世に受け継ぎ、町の魅力を広く伝えようとする人々の思いは、いま、この町で新しい形となって花開いている。

 

「相馬楼」で酒田の料亭文化を偲ぶ

 

 

かつて酒田の町には検番(置屋)もあり、100人を超える芸妓たちがいて、あちこちの座敷に呼ばれては、夜な夜な踊りや唄で客を喜ばせたという。なかでも江戸時代末期1808年に開業した相馬屋は、酒田を代表する料亭だった。明治26年(1892)には、ここの大広間で宮廷晩餐会を模した宴会が催され、わざわざ取り寄せた豪華な衣装をまとって天皇に扮した県会議員はじめ、地元の名士たちがこぞって不敬罪で逮捕されるという大事件になった。結局、東京から呼び寄せた腕利きの弁護士の機転で、あれはお雛様の真似をしたのだと弁明し、罪を免れたという。ちょいとおふざけがすぎたとはいえ、いかにも豪商たちの豪勢な遊びっぷりがうかがわれる事件ではないか。

明治27年(1884年)、庄内大震災の際に起きた大火災で相馬屋の主屋は焼失し、焼け残った土蔵を囲む形で再建された建物が、今の相馬楼の主家である。300年の伝統を誇る相馬屋だが、時代の波には抗えず、平成6年にはいったん廃業となる。残った建物は平成8年(1996年)に国の登録文化財に指定され、その後、酒田の料亭文化を守るため生活クラブの豚肉でおなじみ平田牧場の新田会長が買い取って修復、現代の職人や芸術家たちの力を集結し、2000年に観光施設「舞娘茶屋雛蔵畫廊 相馬楼」として美しく生まれ変わった。

 

雛の蔵で現代のお雛様に会う

 

 

相馬楼の名前に「雛蔵」とあるように、古くから受け継がれてきた雛人形も展示されているが、それだけでなく、建物全体がまるでお雛様の世界に迷い込んだような雅な雰囲気に包まれている。玄関ホール正面の壁には金箔の松竹梅、扇、鼓のレリーフが飾られ、左右には燭台がともされて、その前に舞娘さんが立ったところは雛壇さながらだ。

あでやかな緋色の毛氈が敷かれた廊下を進むと、左右にそれぞれ趣の違う小部屋が配されている。大事なお客様同士が顔を合わせて気まずい思いをすることがないよう、各部屋の入口は互い違いの向きに作られ、玄関を通らずとも外に出られるようどの部屋も中庭に面しているのだという。中には寺院の僧侶専門のお部屋もある。天候に大きく左右された昔の船の運航は神頼みだったため、町の規模にそぐわないほど寺院が栄えたのだという説明を思い出す。一番大切なお客様、旦那衆をお通しした部屋は、建物のもっと奥まったところにあり、土蔵造りになっている。万が一火災が発生しても無事でいられるようにという配慮である。

 

毎晩お客は「ドンドン シャンシャン……」

 

 

2階の大広間は食事や酒田舞娘の踊りが楽しめる演舞場となっていて、毎日14時から20分ほど、舞娘さんたちの踊りが披露される。18歳から25歳までの舞娘さんたちは平田牧場が雇用する社員。舞娘を卒業した小鈴姐さん(写真右)が芸娘として三味線や唄を担い、後輩たちの指導にもあたっている。

かつてここで宴を催した商人たちは、生け花や茶の湯、俳諧など豊かな教養を身につけており、迎える芸妓たちもまた、芸事に秀でていたという。伝統を受け継ぐ今の相馬楼の芸娘たちも、踊りや三味線だけでなく、茶道や華道など日本の伝統的な文化を一通り学んでいるのだそうだ。そうやって修行を積むうち、ごくふつうの18歳の少女が、しとやかな芸娘さんになっていくのだ。

この日の演目は、季節に合わせた長唄の名曲「菖蒲浴衣」からの一節、庄内の民謡「庄内おばこ」、そして「酒田甚句」の3曲。「毎晩お客は ドンドン シャンシャン シャン 酒田は良い港 繁盛じゃおまへんか」。初々しい舞娘さんたちの舞を眺めながら、かつての賑わいを想う。

 

「山王くらぶ」で料亭文化の歴史を学ぶ

 

 

相馬楼から徒歩5分の「山王くらぶ」も、かつては「宇八楼」という名の老舗の料亭だった。開業は明治28(1895)年。戦時下での統制など時代の紆余曲折を経て、2003年国の登録文化財指定にされ、平成20(2008)年に、新「山王くらぶ」として開館した。

伝統を活かしながら現代風のアレンジが施された「相馬楼」に対して、こちらはかつての料亭の歴史を紹介することに主眼が置かれている。公開されている6つの客室には「酒田商人の間」「神社めぐりの間」「文人墨客の間」「料亭文化の間」などと名前がつけられ、テーマに沿った丁寧な説明と展示品がおかれている。たとえば「北前船の間」には船の模型や貴重品を入れて運んだ船箪笥、積荷の代わりに重さを調整するために運ばれた笏谷石が説明とともに展示されているなど、ちょっとした博物館のようだ。

凝った造りの建具に豪商たちの粋な趣味が偲ばれる。「夢二の間」は酒田を愛した竹久夢二が訪問の際に愛用した部屋だという。松尾芭蕉をはじめ、多くの文人たちがこの町を訪れた。彼らもまた、こんな部屋でくつろぎ、お膳を囲んでうまい酒と肴に舌鼓をうったのだろう。

 

色鮮やかな「傘福」に人びとの幸せを願う

 

 

二階の広間にあがると、目にも鮮やかな「傘福」が部屋中に下げられている。傘福は酒田に古くから伝わるつるし飾りである。かつて、女性たちが子どもの健やかな成長などを願いながら一針ずつ縫ったものを神社や寺に奉納した風習があったらしい。白い円型の飾り物は女性の乳房を象ったもので、貧しく食べ物の乏しい時代、生まれた子供にやる乳がたくさん出るようにとの願いが込められているという。ほかにも、鶴・亀や海老・鯛などの縁起物はもちろん、米俵や野菜など大地の恵み、動物や花など、さまざまな思いをのせた色とりどりの細工物が吊るされている。

料亭文化同様、傘福の伝統もまた時代とともに忘れられ、消えかけていたそうだが、平成17年(2006年)、酒田市商工会議所女性会の呼びかけで復活した。大勢の市民が手作りした細工物の数は6000個。その後も高さ270cm、傘の直径200cm、細工の数999個という巨大な傘福や、かつて酒田で盛んだった絹や紅花染めを用いた美しい傘福などが作られ、伝統は新しい姿で見事によみがえった。

 

伝統に新たな思いを乗せて

 

 

傘福のもう一つの源流とされるのは、地元日枝神社の山王祭(現酒田祭)を盛り上げるため、本間光丘が京都の人形師に作らせた「亀笠鉾」の山車飾りである。復元された亀笠鉾は山居倉庫のミュージアムに展示されており、竜宮の使いとされる亀の形の大きな鉾の上に、赤い布をめぐらせた笠が立てられ、縁起物がつるされている。こちらは商売繁盛を願って、打ち出の小槌や七宝など宝尽くしの飾りつけだ。贅を凝らした「亀笠鉾」は大いに評判となり、それにつづいて背の高い「立て山鉾」が次々と作られ、盛大な祭りを見物しようと江戸や大坂からも多くの人がやってきたという。明治時代に電気が普及し、電線が張りめぐらされると、立て山鉾は姿を消すが、近年、酒田まつりの新たなシンボルとして復活した。

交易で栄えた酒田の人々は、昔から新しいものを積極的に取り入れてきた。単に歴史や伝統を重んじて守るだけでなく、そこに新たな風を吹き込んで後世に伝えて行こうとする湊町酒田の人々の心意気。街を活性化させるため私財を投じ、公益のために尽くした本間家の伝統は、みなで力をあわせて地域を盛り上げて行こうとする町の気風にも受け継がれているのだ。

 

いざ、酒場へ!

 

 

かつて料亭で豪商たちが楽しんだ美味い酒と食事。酒田は美食の町でもある。

今回のツアーで初日の夜に訪れることになっていた「炭かへ」(「かふぇ」の酒田訛り)は、飛島に移住して地域おこしに取り組む若者たちが、酒田市内でも飛島の海の幸を食べてもらいたいと開いた店だ。飛島直送の新鮮な魚介の炭火焼きを楽しみにしていたのだが、「北前横丁屋台村」の一角の小さな店で人数的に入りきれず、代わりに2019年7月5日にオープンしたばかりの姉妹店、BAR shakeを訪ねた。こちらは日本酒カクテルとカジュアル寿司が楽しめる大人の店である。

埼玉からUターンした店長の佐藤さん(写真左)は、酒田に戻るつもりで利き酒師の資格を取ったという。地元のお酒を中心とした品ぞろえはもちろん、日本酒が苦手な人の登竜門となるようにと、オリジナルのカクテルも作っている。一押しはライムとミントの代わりに大葉と日本酒を使った「和モヒート」だそうだ。

 

涼しげな寿司小鉢と冷酒に暑さを忘れる

 

 

この日のお通しは島で採れた水タコのタコわさびと、トビシマカンゾウの花の塩漬け入りモズク酢。つづいて出されたのは、新鮮だからこそ出せるサザエの刺身。こりこりとした歯ごたえと磯の香がなんともいえない。看板メニューの「寿司小鉢」は涼し気なガラスの小鉢に酢飯と寿司ネタを盛ったおしゃれな一品である。漬けマグロ、キジハタ、鮭&いくら、鮭&うにという豪華なラインアップに思わず頬が緩む。ガラスの小鉢に品よく盛られた寿司は、日中の暑さを忘れる涼し気な美しさだ。

いただいたお酒は、夏にぴったりの「上喜元 純米 白麹仕込み 白明かり」。酒田市内に残る酒蔵、酒田酒造の限定酒である。日本酒の仕込みにはあまり使わない白麹を使っているので、55%しか削っていないのに大吟醸のようなフルーティな爽やかな酸味と上品な甘みがあり、夏にぴったり。よく冷やして飲めば、今日一日の酒田散歩の疲れもどこへやら。幸福な酒田の夜はかくして更けゆく…

 

旅の思い出にひたりながら…

 

 

楽しかった酒田の旅もいよいよ終わりだ。最終日には、お土産を買うため、山居倉庫の2棟を改装して作られた観光物産館「酒田夢の倶楽」に立ち寄った。買い求めたのは「七蔵飲み比べ」。酒田のいろいろな地酒が少しずつ楽しめる、酒好きにはうってつけの土産物である。帰宅後にさっそく酒好きの友人を家に招いて、利き酒会を催した。最初の2本は純米吟醸、あとはみな純米酒というところにも、米どころ酒田のこだわりが感じられる。以下、6種の酒の感想を記す。*あくまでも個人の感想です。

 

 

酒田酒造「上喜元(じょうきげん)」

 

 

口に含むとさらっとして水のよう。切れが良い。喉を通った後にうまみが口全体に広がり、うまみの余韻が口の中に長く残る。品があって後からじんわりと良さが感じられる。役者に喩えれば幸四郎。

 

 

松山酒造「秘めごと」

 

 

口に含んだ瞬間、ふわりと華やかな香りと上品な甘さが広がる。ほどよい甘さはしつこくなくすっと消えていく。美人とすれ違いざまに甘い香りがふわりとただよって、振り向くともうそこには誰もいない、あれは幻か… という感じ。役者に喩えれば女形、玉三郎か菊之助か。

 

 

麓井酒造「麓井の圓(ふもといのまどか)」

 

 

主張しすぎない控えめな味で、食事をひきたてるので、酒だけで飲むより食中酒として最適。毎日飲んでも飽きないやさしい味で、食事と一緒に楽しむふだんのお酒。役者としては名わき役か黒子。

 

 

東北銘醸「初孫」

 

 

含んだ瞬間に口の中にやさしい甘みが広がる。丸みのある味で、転がしても舌を刺さない。いつもにこにこしている丸顔のおじさん。梅干しなどとんがった味のきつめのつまみとの相性がいい。有名人にたとえるなら鶴瓶だね。

 

菊勇「栄冠菊勇(えいかんきくいさみ)」

 

 

味わいのしっかりした、誰にでも好まれる酒。つまみをじゃましないけれど自分の存在も残っている。「ザ、日本酒」「はい、日本酒です!」という王道の味。鬼平を演じる吉衛門か?

 

オードヴィ庄内「清泉川(きよいずみがわ)」

 

 

なんだろう、うまく表現できない不思議なインパクトがある。ちょっと洋酒よりだね。酒蔵の名前からしてオードヴィだもんな。冷やしてチーズなど洋風のつまみとあわせてみよう。うん、なかなかいい。有名人に喩えると? やっぱり少し外国の血が混じったタレントだね。それも、滝川クリステルみたいな知的なタイプじゃなくて、だけどただ可愛いだけのおバカキャラでもなくて…そうだな、ベッキーとか?

 

……ちなみに、感想の文体がだんだんくだけていくのは、何を隠そう、呑みながら書くうちに酔いがまわったからである。(みなさん、飲みすぎには注意しましょうね。)

今回は訪問できなかったが、酒田市郊外には見学や試飲ができる酒蔵もある。1月下旬には酒祭りも。酒好き人間にとって、酒処・酒田を訪ねる楽しみはまさに「汲めども尽きぬ」のである。

(※本稿は2019年8月上旬に実施された取材をもとに作成されました。)

 


 

 

取材者プロフィール

 

 

ペンネーム:野菜畑のモンシロチョウ
所属単協名:東京・目黒
プロフィール:何年か前に訪ねた有機農家さんの畑で、キャベツやレタスの上をモンシロチョウが群れ飛ぶ美しい光景に魅せられ、それ以来、有機農業にはまっています。

今はときどき援農に行くくらいしかできないけれど、あのときの蝶のように畑をあちこち飛び回って、有機農業の魅力を伝えたいなと思っています。