生活クラブらしさ満載の参加型福祉コミュニティーづくり

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特派員レポート

「酒田に本間家あり」地元を足下から支えた本間家の跡を辿る

 

「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われた本間家は日本一の大地主とも称された酒田市の豪商。その本間家三代目光丘は、「有るところの物は無いところへ、無いところには有るところから」を基本理念として困窮者救済や海沿いの植林事業、庄内藩財政の立て直し等々、地元に大いに尽くしたそうです。その理念は代々受け継がれ、各時代で本間家は地域に貢献しました。

 

大金持ちだからこそ、困っている人を助ける。現代では理想像でしかないと思われる生き方を実践した本間家の跡を探しに、酒田市をまわってきました。

 

 

戦後の混乱期に、全国に先駆けて文化の息吹をと本間美術館を開設

 

 

 

 

 

鶴舞園から清遠閣を臨む

酒田市駅近くにある本間美術館は、元々は本間家四代光道が建設した庭園つきの壮大な別荘を開館したもの。六千坪(約2万㎡)の敷地内には、鳥海山を借景に回遊式の庭園「鶴舞園」があり、国の名勝庭園となっています。

 

庭には佐渡の赤玉石、伊予の青石、北海道からはカムイコタンの石など全国からの石が、植栽とともに美しい庭園風景をつくりだしていて贅沢な眺め。石は、北前船が積荷の米俵をおろした帰路に重さを調整するために持ち帰ったものなので、北前船がいかに全国方々を廻っていたかがよくわかります。

 

本館である別荘「清遠閣」は京風木造建築でほぼ築200年余り、二階は明治期に増設されて約110年にもなりますが、数々の震災でも倒壊を免れ、今も頑強に佇んでいます。

 

建築は頑強ながら内装は繊細。影が鶯に見える透かし彫り、金粉を吹きかけた壁。また、本間家は東北中に財政支援をしていた縁もあり、一部には、米沢藩からいただいた上質な資材が使われています。10m弱ほどの一枚板の廊下、まさ目のみの天井、千年以上の神代杉の板戸など、思わずため息です。

 

さすが大金持ちの別荘ね…。このような豪華な造り以上に、私が素晴らしいと感じたのは、その建造の目的でした。

 

実は清遠閣と鶴舞園は、冬季の港湾労働者(酒田港)の失業対策事業として光道が1813年に造ったものだったのです。その後も行なった度々の改築も、失業者対策を目的にしていたとか。

 

そして終戦後1947年、荒廃していた社会にいち早く私立美術館として市民に開放されました。本間家が各地の大名から拝領した価値の高い美術品や歴史資料が、所蔵されているそうです。

 

文化は平和であるからこそ。美術館の開設で、酒田の人々はやっと訪れた平和をより実感できたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

「本間家がある酒田に生まれたことを誇りに思います」本間家旧本邸にて

 

 

樹齢400年の松が守る商家造りの玄関

本間家旧本邸は、三代目光丘が1768年に新築し庄内藩主酒井家に献上したものです。武家造りと商家造りが一体になっている建築物で、全国でも珍しいそう。幕府の一行が使用するために献上されましたが、その後酒井家から本間家に拝領され、戦中である1945年春まで本間家が住居として使用していました。

 

驚いたのは、旧本邸はほぼ250年前の建築当時のままだということ。

 

昭和57年に酒田大火があり市の中心部もかなり被害に遭いましたが、旧本邸は周囲四方に木を植えてあり火事からまぬがれたそうです。

 

商家造りには子どもたちが遊ぶための部屋があったり、武士の身分を許されていた本間家の御勝手は土間ではなく板の間。かつての生活風景が見えてくるような気配でした。

 

 

 

この旧本邸は、1945年5月に軍隊が置かれることになりましたが、まもなく終戦を迎え、戦後から昭和51年まで広く市民が利用する公民館として利用されていたということで、私はまたもやびっくり。

 

歴史的に貴重な建物内には、子どもたちの絵を展示した画鋲の跡や、障子には墨の飛び散りなども残っています。

 

でも、歴史的に貴重なのは、立派な建築物だけではなく、みんなで使えるようにしてくれた本間家の計らいでもあるのではないでしょうか。だから、画鋲の跡などがとても愛おしく感じられるのは、私だけでもないのだろうと思いました。

 

旧本邸を案内してくださった酒田市生まれの女性が、最後に私に告げてくれました。

 

「市内の中・高校生を案内することも多いのですが、子どもたちに私はこう言っています。世のため、人のために尽くした本間家がある酒田に生まれたことを誇りに思ってくださいね、と。」

 

本間家は代々で地元に貢献し、備蓄米の確保、貧民救済、藩主転封(お国替え)の阻止など数々の困難に立ち向かいながら、一人ひとりの民が飢えずに生きる方策に尽くしたそうです。そうした本間家の基軸には、光丘が説いた理念がありました。

 

「上には逆らわず、下とは争わず」で相手に理解されるまで待つ。私たちが関わる生活クラブの姿勢としても共有できるといいですね。一人ひとりが幸せに生活できることを願って。

 

 

※本間家旧本邸の内観写真は特別に許可をいただき撮影しております。

(※本稿は2018年7月下旬に実施された取材をもとに作成されました。)

 


 

取材者プロフィール

 

 

ペンネーム:たっきー
所属単協名:東京多摩南・まち調布狛江
プロフィール:補習塾を細々と運営しています。

多摩川の自然が気に入って狛江に在住。

民族や伝統文化に触れて発見することを生活に活かしたいなあと思っています。

アウトドア、音楽大好き、お酒と美味しい食もです。