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特派員レポート

即身仏〜祈りが支えた庄内の暮らし

 

映画「おくり人」のロケ地となった旧割烹小幡と道路を挟んで向き合うのが砂高山海向寺。1200年前に真言宗の開祖弘法大師によって開かれたとされています。
日和山の中腹に建立された海向寺の境内からは酒田市内が一望でき、晴れた日には遥か出羽三山も見えます。

そんな清々しい立地とは裏腹に、海向寺は2体の即身仏が安置、祀られている寺として有名です。
即身仏とは、僧侶が土中の穴に入り、瞑想状態のまま絶命し、ミイラ化したもので、仏教の修行の中では最も過酷なものとして知られています。

なぜこの豊かな庄内平野でそうした修行が行われてきたのか、実際に海向寺にお伺いしてきました。

 

即身仏はなぜ生まれたのか

 

 

そもそも現在、日本では16体の即身仏が確認されており、その半分の8体は山形県、4体は新潟県にあります。即身仏になるには、出羽三山の一つである湯殿山の仙人沢に山籠もりをして穀物を絶ち、木の実などを食べ、そのうえに水垢離や山道を走るといった修行を、命の限界まで続けます。こうした修行を木食修行といい、この修行を終えると、深さ3メートルほどの竪穴のなかに石室を築き、木製の棺の中に生きたままで入られ、中では断食を行い、鐘や鈴を鳴らしながら経を読み続けます。やがて、その音もとまると、そこから三年三か月後に即身仏となって掘り起こされるのです。この最後の修行を「土中入定」といい、海向寺の鐘付き堂の脇には円明海上人の土中入定の地が残っています。

 

この海向寺は多くの寺が持つような檀家を持たず、祈祷の寺としてこの地域の湯殿山信仰の拠点のような存在であり続けました。最大の宗教儀式は「作祭り」で、毎年2月18日に湯殿山系寺院の住職や行人が儀式を執り行い、湯殿山大権現が憑依した行人に、「問役」が農作物の作柄や漁獲、風水病難、火難などを次々と質問すると、行人は激しく震えながら、「七分」、「八分」と即座に答え、それを「書役」が帳面に書き取っていました。もし、結果が悪ければ、それを防ぐための信心仏の名まで問うていたといいます。このときの行人は憑依を受けるための修業が必要で、小寒の入りから立春の前日までの30日間、毎朝水垢離を最低でも三年は行わなければ、大権現は付かぬと言われていました。今も、毎年2月18日に、この作祭りは行われていますが、1990年代を最後に、憑依による占いは行われていないと案内をしていただいた住職の奥様は語っていました。

 

二体の即身仏と対面する

 

 

鉄筋コンクリートでできた即身堂内で、案内役の奥様に寺の由来、即身仏の解説をうかがいました。実は、かの注連寺の鉄門海上人も、八代住職として海向寺にお勤めしたこともあって、即身堂には鉄門海上人の書や遺品があり、これについても丁寧なお話をうかがったあと、いよいよ奥様は静かに厨子の扉を開きます。すると、そこにはお二人の即身仏が法衣を着て座っていました。
向かって左側の即身仏が海向寺中興初代の住職である忠海上人。元々は庄内藩の武士の家に生まれた方で、鶴岡市の本明寺にある即身仏である本明海上人の甥にあたり、宝暦5(1755年)、58歳のときに土中入定を果たされたと伝えられています。その隣、向かって右側の即身仏が海向寺九代住職の円明海上人で、鶴岡市の注連寺にある即身仏・鉄門海上人のお弟子さんです。旧東田川郡栄村に生まれ、羽黒山で修業を積んで山伏となり、鉄門海上人とともに布教活動をされ、文政5(1822)年、55歳で土中入定を果たされています。
お二人とも全体に黒ずんではいますが、その表情は優しくみえました。正直にいえば厨子の扉を開くまでは怖いという気持ちがありましたが、厨子のなかに座るお二人を見た瞬間、怖いという気持ちは氷解し、暖かさとでもいうような感覚につつまれます。特に円明海上人の数珠をもった左手は、私を歓迎してくれているように見え、忠海上人の差し出された左手は、よく来たねと私を労っているようにも見えました。
奥様の話では即身仏と対面し号泣する人、見入った末に何かを悟ったといって去っていった方などがいるそうです。私も今まで背負ってきた辛いこと、嫌なことが下りていったような、楽になった気がしたことがとても不思議に思われました。

 

祈りと人々の暮らし

 

 

そもそも、なぜ即身仏がこの地で生まれたのでしょうか。
それは、今でこそ人は感染症や病気を防ぐ為に上下水道を整え、日当たりや風通しをよくしたり、予防接種を行ったりしていますが、江戸時代では、「風邪」という字に残されているように、病は風や気がもたらすものと信じられ、人は神仏に祈り、病気を克服しようとしました。
それは病に限らず、大火があれば法力で鎮火を願い、疫病がはやればその退散を願い、多くの人が訪れ祈り=祈祷を行う場所であったのが、海向寺でした。
住職は願いごとがあるたびに、願いが叶うことを祈りつつ『苦しいことはあろうが苦しいことがあるからこそ、人は大事なものの存在を知ることになる。こうしたことがあっても祈って生きることこそが人の道である、苦しみがあってこそ生活のなかのありがたさに気づくのだ』と説き、仏の世はどこにあるのですかという人々の問いに、『今いる現世こそが仏の世である、どうすればそのことに気がついてくれるのか』という思いで祈り続けたのが当時の海向寺の住職の姿であったようです。
そして人々の末代までの安寧を願い、苦しみを救い、願い事をかなえるために究極の祈祷の形である即身仏になることを選びました。
決意をもって彼らは厳しい修行に出て、土中入定を迎えられたといわれています。海向寺の忠海上人とも縁が深い、お隣の鶴岡市の本明寺に安置される本明海上人も、「末世の諸人、善心の信を頼む心願はいかなることにても成就せしめん」と遺言し、修行の末に入定したと伝えられています。

 

最後に

 

 

今も海向寺にはお二人の即身仏が、江戸時代からずっと座り続け、人々の安寧と苦しみの救済を祈り、この世が、現世が仏の世であることを指し示し続けています。お二人とも、丑年になると衣替えが行われ、住職の奥様と、先代住職の奥様が二人で縫った真新しい法衣を身にまといます。
次の丑年となる2021年にも、前回のように現住職と先代住職の奥様のお二人が法衣を縫うことになり、これまで12年間身にまとった法衣は小片に分けられ、お守りに縫い込まれていきます。港には海鮮市場ができ、山居倉庫を巡った多くの人たちが食事を楽しんでいますが、そこから目と鼻の先にあるのが海向寺。一度は訪れ、時間を超えて祈り続ける上人たちと会われるのはいかがでしょうか。心ふるえる時を経験し、安寧を感じるようになることでしょう。

 

※即身堂内は、特別に許可をいただき撮影されています。

(※本稿は2018年10月中旬に実施された取材をもとに作成されました。)

 


 

 

取材者プロフィール

 

 

ペンネーム:大仏ちゃん
所属単協名:千葉・松戸
プロフィール:現在66歳。市役所を60歳で定年退職してから大学教員へ。

その後、65歳の二度目の定年を機に大学院で健康寿命の延伸にかかわる要因とは何か? という研究を行っています。

今のところ、そのカギは「経済活動」が最も重要な要因ではないかとにらんでいます。